■19世紀前半(1801~1850)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1801 | ||||
1804 | 華岡青洲 | 日本 | 世界初の全身麻酔手術 | |
1805 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1806 | ||||
1809 |
※近代農学の祖 |
ドイツ |
『合理的農業の原理』 腐植(フムス)栄養説の提唱 |
テーアは1809年~1812年に「合理的農業の原理」を執筆。テーアは土壌を分析し、腐植土の多い土壌ほど肥沃であり、高い生産力を有することを指摘。 |
1810 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1811 | ||||
1815 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1816 | ||||
1820 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1821 | ||||
1825 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1826 |
カール・シュプレンゲル |
ドイツ |
植物灰から無機塩を抽出 無機栄養説の提唱 |
シュプレンゲルはテーア創設の農業学校に15歳で入学し、働きながら学んだ。その後、農業コンサルタントとしてヨーロッパを旅して周っていた。1826年に植物灰から無機塩(硝酸、硝酸塩、塩化物、リン酸塩)を抽出し、論文で報告した。かつてテーアは腐植そのものが植物の栄養源と考えたが、シュプレンゲルはさらに進んで肥料や腐植に含まれるミネラル(鉱物・無機物)が栄養源だと考え、植物に必須の栄養素だと指摘した。 |
1828 |
カール・シュプレンゲル |
ドイツ |
植物の無機栄養素を提示 最小律を提唱 |
植物に必要な無機栄養素として、窒素、リン、カリウム、硫黄、マグネシウム、カルシウムなど20種類の元素を提示。植物の成長に必要な12種類の元素のうち一つでも不足すれば、植物は成長できないとする最小律を提唱。 |
1828 |
フリードリヒ・ヴェーラー | ドイツ |
尿素の合成 ※有機物の人工合成の端緒 |
シアン酸アンモニウムの水溶液を蒸発させて、尿素を得た。この尿素合成を契機として、天然有機化合物が人工的に合成できることが初めて認識された。 |
1830 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1831 | チャールズ・ダーウィン | イギリス | 軍艦ビーグル号の世界周航 | 博物学者として軍艦ビーグル号に乗船し、世界周航に出帆。 |
1835 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1836 | ||||
1840 |
※農芸化学の父 |
ドイツ |
無機栄養説を支持 化学肥料の可能性を指摘 |
スコットランドのグラスゴーで英国科学振興協会の会合が開かれ、リービッヒは無機栄養説を提唱し、植物は堆肥と屎尿から養分を吸収するように、無機塩類と岩石からも養分を得ることができると主張。農業に化学を利用する、つまり化学合成によって土壌に養分を補うことができるというリービッヒの主張は、農業関係者と伸び盛りの肥料業界から注目を浴びた。人類は食糧生産は、人間・家畜の排泄物、海鳥の排泄物(グアノ)など天然有機物の量的制約によって縛られてきたが、有機肥料ではない化学合成された無機肥料でも問題なく食糧生産に活用できるのでは…という可能性を示唆した。 当時支配的であった腐植(フムス)理論は、植物は動物の排泄物などの有機物から養分を吸収し、それ以外の要素は植物自体が生成するというものである。リービッヒの無機栄養説はフムス理論に真っ向から対立するものであった。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1841 |
※農芸化学の父 |
ドイツ |
作物の成長に必須な栄養素の一つでも欠ければ、他の栄養素が足りていてもうまく育たないというリービッヒの最小律を提唱。リービッヒは植物は窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)の3要素が必須であるとした。 最小律の概念は、既にシュプレンゲルが提唱しているものである。リービッヒの無機栄養説や最小律は、それを実験的に発見したというよりも既に発表済の事実の伝道者、擁護者に過ぎないという批判もある。 |
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1842 | カール・ネーゲリ | スイス | 染色体の発見 | |
1845 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発明/発表/現象) | メモ |
1842 | カール・ネーゲリ | スイス | 染色体の発見 | |
1846 | エーテル麻酔による初の公開手術 | |||
1846 | ハイディンガー | オーストリア |
※ヒトの目の偏光に対する視覚 |
鉱物学者のハイディンガーは偏光された光で鉱物を観察中に、ハイディンガーのブラシを発見した。なお偏光(直線偏光)は1808年にマリュスにより発見されていた。 |
1850 |