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年表_物理学/化学_16-FH


■16世紀前半(1501~1550)

西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1501 アメリゴ・ヴェスプッチ イタリア

南米大陸の発見

アメリゴは第3回目の航海で南米大陸(アルゼンチン海岸)を南下し、新大陸だと決定付けた。南緯50°付近で極寒・暴風雨のため南下を断念して引き返し、マゼラン海峡(南米大陸を南端で迂回する航路)の発見まで至らず。
1502        
1503 アメリゴ・ヴェスプッチ イタリア

論文『新世界』

アメリゴは4度の航海(1497年~1502年)における南米探検で南緯50°まで南下した。南米大陸がアジア最南端のマレー半島(北緯1度)、アフリカ最南端(南緯34度)よりも南に位置するため、既知大陸(ヨーロッパ,アジア,アフリカの3大陸)のいずれにも属さない新大陸であると結論付けた。なお当時は北米大陸と南米大陸が繋がっていることは確認されていない。
1504        
1505

ヴァシリウス・ヴァレンティヌス

ヨハン・テルデ?

ドイツ

書物『鉱業小冊子』

 
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1506        
1507

マルティン・ワルトゼーミュラー

マティアス・リングマン

ドイツ

ドイツ

書物『宇宙誌入門』

新大陸をアメリカと記載

書物『宇宙誌入門』の付録の世界地図で、新大陸を初めてアメリカと記載。その由来は、南米探検したアメリゴ・ヴェスプッチのラテン語名アメリクス・ウェスプキウスの女性形に因む。
1508        
1509        
1510 ピーター・ヘンライン

ドイツ

懐中時計(ニュルンベルグの卵)

※携帯型時計

 
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1511        
1512        
1513

バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア

スペイン

パナマ地峡を経て太平洋岸に出る

北米と南米が陸続きであること、そして北米大陸と南米大陸の繋がりパナマ地峡にて南の海(太平洋)を確認した。
1514        
1515        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1516        
1517        
1518        
1519

フェルデナント・マゼラン

ポルトガル

マゼラン艦隊の世界周航、出発

 
1520        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1521        
1522

フェルデナント・マゼラン

ポルトガル

マゼラン艦隊の世界周航、達成  
1523        
1524        
1525        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1526        
1527        
1528        
1529        
1530        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1531     ハレー彗星、出現 後のハレー彗星が76年の周期で出現。彗星は一度現れると二度と現れないと思われていたが、1705年にエドモンド・ハレーはハレー彗星が周期衛星であることを発表する。
1531        
1532        
1533        
1534        
1535        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1536 ハルトマン

ドイツ

地磁気の偏角

地磁気の成分の一つ

 
1537 ニコロ・フォンタナ・タルタリア イタリア

書物『新科学』

弾道学の成果を発表

数学者として著名なタルタリアは、書物『新科学』にて弾道学の研究の成果を発表。軍事技術の発達に伴い弾道計算が課題であり、タルタリアは弾丸が水平に対して45°で打ち出された場合に射程が最大化されることを証明。砲術家の経験知を理論付けた。
1538        
1539        
         

1540

ビリングッチョ イタリア

書物『火工術』

書物『火工術』は、化学・冶金・造兵の技術全書。
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1541        
1542 ペトルス・アビアヌス ドイツ 書物『宇宙誌』を発表 宇宙誌にて、アリストテレスの宇宙体系の図を掲載。
1543   日本 鉄砲、伝来  
1543 ニコラウス・コペルニクス ポーランド

書物『天球回転論

地動説(太陽中心説)の提唱

コペルニクス提唱の地動説(太陽を中心とする宇宙体系)は、理論背景や根拠に乏しいものの、幾つかの観測結果を簡便に美しく説明できた。地動説は宇宙の中心を地球から太陽に挿げ替えるだけで、周囲を取り巻く惑星軌道は同心円状を一定速度で回転(等速円運動)する点は、従来の天動説の宇宙体系を踏襲している。

地動説を謳う書物『天球回転論』の発行直後、コペルニクスは脳溢血で死亡。なお著書『天界回転論』は1661年に禁書指定され、その指定は1822年に解除される。

※惑星軌道が等速円運動ではなく、速度の変化する楕円運動であることを観測データをもとに指摘したのはヨハネス・ケプラーである(書物『新天文学』/1609年)。美と調和を基盤とする天界の運動は図形の中で最も対称性の高い円である…という認識を打ち壊すケプラーの指摘は、運動そのものの説明に焦点を移らせ、力学発展の土壌を作られる。

※太陽中心に地球が公転しているという地動説の実証は、約300年後(1838年)にベッセルによる年周視差の測定によって果たされる。

【聖職者コペルニクスと地動説提唱の苦悩】

コペルニクスが古代ギリシアの哲学者の手記に接したのはイタリア留学中とされ、「古代ギリシア哲学者の著作の中にある"地球は動く"という言葉に触発された」とコペルニクスは論文の中で述べている。コペルニクスが自身の地動説を『天球回転論』にまとめたのは60歳過ぎであったが、しばらくは出版しなかった。キリスト教のローマ・カトリック協会は何世紀もの間、プトレマイオスの宇宙観を公式見解として信者に伝えてきたので、聖職者であるコペルニクス自身が地動説を主張するのは問題がある、と考えたため。

友人や弟子の強い勧めでこの書物が出版されたのは70歳になってからであり、さらに出版者が、これは単に計算方法であるという但し書きをつけて初めて出版が可能となった。コペルニクスは著書の出版直後に脳卒中で死亡した。

1543 アンドレアス・ヴェサリウス ベルギー 書物『ファブリカ』 ファブリカは精緻な人体解剖図である。古代ローマの権威ガレノスの解剖書を妄信せずに、実際に自らがメスを手に解剖を行い、人体構造を確かめた成果物である。また写実的に描かれ、美術的価値も高い。
1543 ニコラウス・コペルニクス ポーランド コペルニクス、逝去 地動説を謳う書物『天球回転論』を発行直後、コペルニクスは脳溢血により死亡。
1544 ハルトマン ドイツ

地磁気の伏角

地磁気の成分の一つ

 
1545        
西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1546 ゲオルク・アグリコラ ドイツ コハク酸を発見

琥珀の蒸留物として琥珀油は12世紀に知られていた。アグリコラは琥珀を蒸留し、カルボン酸の一種であるコハク酸を得た。

1547        
1548        
1549        
1550 ゲオルク・アグリコラ ドイツ

書物『デ・レ・メタリカ

※当時の鉱山業の実態レポート

ラテン語教師・町医者のアグリコラは、ドイツに富を齎す鉱山業に興味を持ち、その実態を詳しく調査した内容を1550年に書物『デ・レ・メタリカ』に著した。(序文の日付は1550年であるが、実際の出版は死亡年の1555年)。

全12巻から成り、地質・鉱脈の調査方法(1~4巻)、鉱石の採掘(5巻)、鉱山家の道具・機械(6巻)、鉱石の鑑定(7巻)、鉱石の砕石・洗浄(8巻)、鉱石の精錬(9巻)、金銀の抽出や塩やソーダ等の各種化学物質の製造法(10~12巻)が解説される。読者の理解を助けるために、数多くの木版画が挿入されている。風景のある図版には切り株が多く描かれ、鉱山業が森林を伐採し自然に負荷をかける生業であったことが窺い知ることができる。