■20世紀第2四半世紀(1926~1950)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1926年 | ||||
1928年 | フランス | 金本位制に復帰 | ||
1929年10月 | アメリカ |
世界恐慌、発生 ※第二次世界大戦の遠因 |
ダウ平均が史上最高値を更新した僅か2ヵ月後の1929年10月24日(暗黒の木曜日)、GMの株価下落を引き金に相場は一気にクラッシュ、世界恐慌に発展。ウォール街は売り一色、僅か5日後にはダウ平均は2ヵ月前の約半分まで下落。ハーバード・フーヴァー米大統領は自由放任主義(つまり無策)を貫き、対応の遅れは恐慌の世界への波及を助長。敗戦国ドイツやオーストリアは恐慌下の賠償金の支払いに苦しむ。アメリカのバブル崩壊の背景には、1920年代前半からの生産過剰が挙げられる。ヨーロッパ各国の戦後復興の終了に加えて、ソ連の社会主義化による買い手が減少していた。 |
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1930年6月 | アメリカ |
スムート・ホーリー法、成立 ※アメリカの保護関税政策 |
世界恐慌に対してアメリカは自国産業を守るため制定したスムート・ホーリー法により輸入品に高い保護関税をかけた。この政策によりアメリカへの輸出に依存する他国は、その高関税に対抗するために通貨を切り下げ、金本位制度の離脱をする。金という通貨価値を測る共通のモノサシと信用の裏付けを失ったことで世界貿易は縮小(失業者は増加)することになる。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1931年6月 |
大統領 |
アメリカ | 世界恐慌により財政危機に陥ったドイツを救済するために行った債務支払猶予措置。 | |
1931年9月 | 満洲 | 満洲事変、発生 |
関東軍(満洲駐留の日本軍)は奉天(瀋陽)郊外の柳条湖付近で南満州鉄道のレールを爆破し、張学良(張作霖の息子)の東北軍による破壊工作であると発表(柳条湖事件)。これは関東軍の自作自演の爆破事件であったが、関東軍はこれを口実に軍事行動を起こし、満州事変が勃発。関東軍は独断専行し、朝鮮軍も加わって、僅か5ヵ月後にはハルピンを占領し、日本本土の約3倍の面積がある満洲全体を軍事制圧した。 |
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1931年9月 | イギリス |
※ポンド切り下げ |
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1931年12月 | 英連邦 |
イギリス連邦、発足 |
大英帝国は旧植民地グループを再編し、イギリス連邦(英連邦)として発足。英連邦に属する国々は、イギリス国王に対する共通の忠誠心によって結ばれた、各々が主権を持つ対等な独立国家である。発足時メンバーは、イギリス、アイルランド自由国、カナダ連邦、ニューファンドランド(後にカナダに編入)、オーストラリア連邦、ニュージーランド、南アフリカ連邦から構成。 |
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1932年3月 | 満洲 | 満洲国、建国 | 関東軍は、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンカクラフギ)を元首として満州国を建国。 | |
1932年3月 | リットン調査団、派遣 | 満州事変を受けて国際連盟は現地にリットン調査団を派遣。日本はその調査を受け入れた。 | ||
1932年7月 |
英連邦 |
オワタ連邦会議、開催 ※ブロック経済圏の構築 |
世界恐慌後、ブロック経済圏構築のために英連邦に加えて、直轄植民地であるインドとローデシアが参加。イギリス経済圏で相互に関税を引き下げ、ポンドを基軸通貨とするスターリング・ブロックを構築。 |
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1933年3月 |
大統領 |
アメリカ | ニューディール政策、開始 |
アメリカ大統領にフランクリン・ルーズベルト(セオドアの甥)が就任するとフーヴァー前大統領による自由放任主義(小さい政府、夜警国家)とは真逆の政策「ニューディール政策」(大きな政府)を実施。ケインズ経済学の「有効需要の原理」に基づき、不況(世界恐慌)で有効需要(お金を使う国民)が不足するならば、政府が公共事業や社会保障でお金を供給してやるという政策。 具体的にはテネシー川流域開発公社(TVA)、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)、社会保障法、全国労働関係法(ワグナー法)と、大きな政府として国民のためにお金をバラまいた。 |
1933年3月 |
日本 |
日本 | 日本、国際連盟を脱退 | 国際連盟総会では満州国を認めず、日本軍の満鉄沿線までの撤兵を勧告した。日本はこの決定に反発し、国際連盟を脱退した。 |
1935年10月 | イタリア | イタリア | イタリア、エチオピアへ侵攻 | 世界恐慌後、ムッソリーニは大規模公共事業で失業者救済を図るが、資源に乏しい現状を打開するため、エチオピアに侵攻した。国際連盟はこれに抗議してイタリアに経済制裁するも、抑えることはできず翌年エチオピアは併合される。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1936年 | ||||
1937年 | イタリア |
イタリア、国際連盟を脱退 |
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1940年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1941年12月 | 日本海軍 |
日本 アメリカ |
真珠湾攻撃(ハワイ海戦)
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1942年6月 | 日本海軍 |
アメリカ 日本 |
※1942年6月5日~6月7日 |
アメリカ海軍は軍艦の建造に代えて空母と航空機を定量生産し、日本のシーレーンを空爆で徹底的に破壊する作戦に出た。ミッドウェー海戦は、空母艦隊同士の決戦となり、米軍の完勝に終わった。 |
1944年7月 |
アメリカ 参加44ヵ国 |
アメリカ |
ブレトン・ウッズ協定に調印 →IMFとIBRDの設立を決定 →金ドル本位制の始まり ※通貨体制の守り神
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終戦前の1944年7月、戦後を見据えた通貨体制構築のためアメリカのニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議(ブレトン・ウッズ会議)が開催された。戦争の原因である経済的困窮は(世界恐慌を起因した)通貨の安定性の不備が招いたという教訓を活かし、新たな通貨体制の構築を目指すためIMF(国際通貨基金)の設立と、戦後復興のための長期融資を行うIBRD(国際復興開発銀行)の設立が決定。 戦前も金本位制であったが、通貨安定のため金ドル本位制が採用される。これは世界の金の75%を保有するアメリカの経済力に依拠した米ドルを基軸通貨とする金本位制の一種である。このメリットは米ドル以外の通貨を発行する他国がその信用力の裏付けとなる金を保有する必要がない点である。 IMFとIBRDによる戦後の金ドル本位体制をブレトン・ウッズ体制と呼ぶ。 |
1944年 | ニコラス・スパイクマン |
アメリカ |
書物『平和の地政学』 ※1942年の講演内容を抄録 |
スパイクマンは、オランダ出身のジャーナリストでアメリカに帰化した国際関係論・地政学の教授。彼の死後(1943年)、日米開戦翌年(1942年)の地政学の講演内容を本書にてまとめた。 ①ユーラシア大陸の縁(ヘリ)=リムランドの争奪が世界大戦の原因。 ②リムランドを制した日・独を倒すため、米・英はランドパワーのソ連・中国と同盟して第2次世界大戦を戦っている。 ③日・独の敗北後、ソ連・中国が台頭してリムランドに進出するだろう。 ④米はエアパワー(空軍)を強化し、日・豪・フィリピンに空軍基地を持つべきだ。 ⑤長い国境を接するソ連と中国は、やがて対立するだろう。 |
1945年2月 |
フランクリン・ルーズベルト ウィストン・チャーチル ヨシフ・スターリン |
アメリカ イギリス ソ連 |
※アメリカ、世界の警察官となる ※東西冷戦の始まり |
1945年2月4日~11日、ソ連領クリミア半島のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で開催された米英ソによる連合国首脳会議。アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長が対日戦の詰めと、勝利後の国際秩序や東欧領土問題について話し合った。 ヤルタ会談でソ連が日本に対して宣戦布告し、大戦後の世界がイデオロギーの異なる米ソ2大陣営により運営されることが決まる。社会主義を標榜する国々をソ連が支配し、自由主義をとる国々をアメリカが支配することに。アメリカは自由主義陣営の警察官の座に就いた。ヤルタ会談で米ソの利害は一致せず、ここが冷戦の始まりとされる。冷戦はヤルタ会談(1945年)からソ連が崩壊する直前のマルタ会談(1989年)までの約44年間を指す。 ソ連は東欧諸国のうちルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・スロバキアに進駐し、社会主義政府を樹立させて勢力拡大を行ったが、ヨーロッパ諸国は戦後で疲弊しており、もはやソ連を単独で対抗できる状態ではなかった。資本主義陣営(西側諸国)にとってはアメリカが頼りとなった。 |
1945年8月 |
連合国 日本 |
連合国 日本 |
日本、 |
1945年8月15日、 |
1945年12月 |
国際 |
IMF、発足 |
ブレトン・ウッズ会議で調印されたブレトン・ウッズ協定に基づき、1945年12月に国際通貨基金(IMF)が設立。設立目的は通貨面での戦争原因の除去であり、為替の安定、為替の自由化、国際収支の安定(赤字国への短期融資)である。 |
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1945年12月 |
国際 |
IBRD、発足 |
ブレトン・ウッズ会議で調印されたブレトン・ウッズ協定に基づき、1945年12月に国際復興開発銀行(IBRD)が設立。設立目的は戦後復興資金の長期貸付である。戦後復興が終了した現在、発展途上国の援助へシフトしている。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1946年 | ||||
1947年 |
アメリカ陸軍省 |
アメリカ |
ガリオア資金で救済政策を実施 ※占領地域民の救済策 |
アメリカは陸軍省の予算から占領地域救済政府資金(ガリオア資金)を拠出し、オーストリア等の占領地や旧敵国(西ドイツや日本)に対して物資を援助した。 ※GARIOA (Government Appropriation for Relief in Occupied Area) |
1947年3月 |
※第33代米大統領 |
アメリカ |
トルーマン・ドクトリンを発表 ※ソ連封じ込め政策 トルコ・ギリシャへの資金援助 |
第33代アメリカ大統領のトルーマンは、トルーマン・ドクトリン(共産主義(ソ連)封じ込め政策)の一環として、ギリシャとトルコに対して合計4億ドルという多額の経済援助をした。この政策の目的は、ソ連の南下政策を防ぎ、地中海に不凍港を持たせないためにある。経済危機の最中だったトルコやギリシャにとっては思ってもみない資金援助となった。 |
1948年5月 | イスラエル、建国 | ユダヤ人は中東にイスラエルを建国。イスラエルの成立により、それまでパレスチナに住んでいたアラブ人が難民となり、周辺アラブ諸国に助けを求めた。この結果、イスラエルとアラブ諸国の中東戦争が始まる。 | ||
1948年 |
53ヵ国 |
国際 |
GATT、調印 ※自由貿易体制の守り神 ※IMF・GATT体制へ |
戦争原因の一つである貿易の在り方を構築するため、スイスのジュネーブにてGATT(関税と貿易に関する一般協定)が調印された。当初、国際組織としてITO(国際貿易機関)が設立予定だったが行われず、GATTという協定自体が組織のように発展し、自由貿易体制の維持を推進してきた。自由貿易の障害とは、関税障壁と非関税障壁(輸入数量制限など)である。一般に貿易の自由化は、非関税障壁を撤廃させて関税障壁にシフトさせ、さらに関税を引き下げさせる段階を経る。 戦争原因を除去するために、IMFによる通貨安定及びGATTによる自由貿易を目指す体制をまとめてIMF・GATT体制と呼ぶ。 ※1995年には念願の国際組織としてWTO(世界貿易機関)が設立され、GATTを継承した。 |
1948年 |
ジョージ・マーシャル ※アメリカ国務長官 |
アメリカ |
マーシャル・プラン(欧州復興計画)の実施 ※西欧諸国に130億ドルの援助 ※旧敵国(ドイツ・イタリア)へも援助 |
アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが発案のマーシャル・プランを実施。西欧諸国に対して合計130億米ドルの復興援助資金を出す計画。特筆すべきは旧敵国のドイツやイタリアをも資金援助の対象とすること。アメリカは次なる敵はソ連だと見据え、早々と旧敵国もアメリカ傘下に引き入れる対策をとった。 |
1949年 | アメリカ陸軍省 |
アメリカ |
エロア資金で経済復興政策を発表 ※占領地域経済の復興策 |
占領地経済復興資金(エロア資金) ※EROA Fund (Economic Rehabilitation in Occupied Area Fund) 日本は石炭や鉄鋼といった基幹産業立て直しのため1946年~1947年にかけて傾斜生産方式をやったが、財源が足りていない状況であったが、このエロア資金に助けられた。 |
1949年4月 | NATO |
国際 |
NATO、発足 |
西側の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)が成立。 西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は1955年にNATOに加盟しており、軍事面でも共同管理下に置かれて監視できる体制となった。 |
1949年9月 |
※西ドイツと東ドイツが成立 |
ベルリンを境にして、9月7日に西側(米英など)管理下の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が成立すると、対抗する形で10月7日にソ連管理下の東ドイツ(ドイツ民主共和国)が成立。 | ||
1949年10月 | 毛沢東 | 中共 | 中華人民共和国、建国 | |
1950年6月 | 朝鮮戦争、開始 |
朝鮮半島は戦後、北緯38度線を境に北はソ連、南はアメリカが占領。ソ連の支援により北朝鮮が大韓民国に攻め込み、朝鮮戦争が開始。 |
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1950年9月 |
朝鮮戦争、仁川上陸作戦 |