■20世紀第3四半世紀(1951~1975)
西暦 | 当事国・機関・人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1951年4月 | 欧州6ヵ国 | 欧州 | パリ条約、署名 | 西ドイツ、フランス、イタリア、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の6ヵ国は、 |
1952年 | ECSC | 欧州 |
ECSC、成立 ※西ドイツへの産業面での共同監視 |
パリ条約に基づきECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が成立。基幹産業の立て直しを共同管理することで、西ドイツが軍事に傾斜しないよう監視。 ※欧州連合(EU)の前身にあたる。 |
1955年 |
西暦 | 当事国・機関・人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1956年 | ||||
1958年5月 | 中国共産党 | 中国 |
大躍進政策、実施 ※1958年5月~1961年1月 |
第2次五ヵ年計画(1958年~)の初年度に行われた政策。毛沢東は農村中心の共産主義社会実現に執念を燃やした。農民に鉄器具を供出させ農村各地でにわか仕立ての溶鉱炉を作り、鉄鋼生産大国を標榜。しかし使い物にならない鉄屑が生産され、農民中心に2000万人の餓死者を出した。 |
1959年1月 | キューバ |
※1953年7月~1959年1月 ※反米政権の生き残り |
キューバ革命によりカストロはバディスタ親米政権を倒した。カストロはモスクワに飛び、ソ連のフシチョフ政権に支援を要請。後にソ連は「アメリカの裏庭」であるキューバに核ミサイルを配備する挑発行為(キューバ危機)を行う。 |
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1960年 |
西暦 | 当事国・機関・人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1961年 | ||||
1962年10月 |
アメリカ ソ連 キューバ |
アメリカ
ソ連 キューバ |
キューバ危機(キューバ・ミサイル危機) ※第2次キューバ危機 |
ソ連はアメリカの裏庭であるキューバに核ミサイルを配備するという挑発行為を行い、ミサイル撤去を要求するアメリカのケネディ政権との間で核戦争の一歩手前まで緊張を高めた(キューバ危機と呼ぶ)。 ソ連は核ミサイルを撤去したが、その後もキューバ支援を続けた。 |
1963年11月 | ジョン・F.ケネディ | アメリカ | ||
1964年5月 | GATT | 国際 |
※1964年5月~1967年6月 |
関税の一律引き下げ方式が導入。 |
1964年8月 |
ベトナム
アメリカ |
ベトナム アメリカ |
トンキン湾事件、発生 ※アメリカによるベトナム戦争の本格介入 の端緒 |
トンキン湾事件を口実にアメリカは北ベトナムの最初の爆撃を行った。 |
1965年1月 |
日本 韓国 |
竹島密約、締結? |
日本と韓国との国交正常化(日韓基本条約の締結)の5ヵ月前に締結されたとされる領土問題に関する密約。竹島棚上げ合意とも呼ばれる。日本は表向きは竹島を疑いの余地のない日本固有の領土(但し、当時から韓国の実効支配にあった)としつつも、裏では竹島(韓国名で独島)に関して互いの主張を認め合い、互いに反論や異議を唱えないこと、とする密約だと噂されている。 ■密約は本当にあったか 日本政府は竹島密約など存在しないと公式に言っている。但し2005年に韓国は交渉文書を公開し、2006年には中曽根元総理がその存在を明かしている。 |
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1965年2月 |
ベトナム アメリカ |
ベトナム アメリカ |
ベトナム戦争、本格化 |
アメリカは2月7日に本格的な北爆を開始し、 |
1965年6月 |
日本 韓国 |
日本 韓国 |
日韓基本条約、締結 |
西暦 | 当事国・機関・人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1966年5月 | 中国共産党 | 中国 |
文化大革命、開始 ※1966年5月~1976年10月 |
若者を扇動し紅衛兵を組織し、中国各地で資本主義に傾倒する走資派と呼んだ党内派閥、資産階層、知識人らを紅衛兵を使って吊し上げ、虐殺。犠牲者は2000万人とも推計され、大躍進政策の餓死者に匹敵。文化大革命のスローガンは造反有理(反逆には必ず道理がある)。 |
1968年 |
国連 |
尖閣諸島、石油埋蔵の可能性 国連の経済委員会が、尖閣諸島周辺の大陸棚に石油埋蔵の可能性ありと発表 |
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1969年7月 | EC | EC加盟国 |
EC(欧州諸共同体)、発足 |
EC(欧州諸共同体)、発足 7月1日にブリュッセル条約(1965年4月8日署名)が発効され、EC(欧州諸共同体)が発足。ECは欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(Euratom)の3組織を統合した総称である。イギリスは創立メンバーに属さず。 |
1970年1月 | アメリカ |
フロリダ全域でトウモロコシ不作 |
収穫量の高い雄性不稔のハイブリッド種にトウモロコシごま葉枯病がフロリダ州全域に蔓延し、トウモロコシは腐った。ハイブリッド種は菌類繁殖が弱点であったことと、その年の春は例年より雨量が多いことが原因。さらにアメリカ南部、コーンベルト(イリノイ州、インディアナ州)へと蔓延したが、スプレー式殺虫剤では手に負えない事態に発展。食糧被害はアイルランドのジャガイモ胴枯病の何倍にも達したが、アメリカでは食生活の多様化が進んでいたため、アイルランドのような飢餓・移民という犠牲は払わずに済んだ。 |
西暦 | 当事国・機関・人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1971年6月 |
台湾 |
台湾 |
台湾、尖閣諸島の領有権主張 |
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1971年7月 |
ニクソン大統領 |
アメリカ |
第1次ニクソン・ショック(ニクソン訪中ショック) | |
1971年8月 |
ニクソン大統領 |
アメリカ |
金と米ドルの交換停止を発表 ※ブレトン・ウッズ体制(金ドル本位制)の終焉、通貨市場の誕生 |
1971年8月15日(日)の夜9時(ワシントン時間)、ニクソン大統領は予告なくテレビを通じて、以下のドル防衛措置を実施(ニクソン・ショック(ドル・ショック))。 ①ドルと金の交換を停止 ②10%の輸入課徴金賦課の実施 ③対外援助の10%削減 ④90日間の賃金物価の凍結 ヤルタ会談(1945年)で世界の警察、ブレトン・ウッズ会議(1944年)で世界の銀行の地位を得たアメリカの求心力の裏付けは金保有量。しかし軍事費・援助資金等によるドル増刷が金の保有量を超過。国際収支赤字も改善できず、戦後のブレトンウッズ体制(金ドル本位体制)は崩壊した。 |
1971年12月 | G10 | 国際 | スミソニアン合意 |
12月17日~18日、ワシントン開催のG10にて固定相場制維持を前提とする緊急通貨措置を実施。 ①米ドルの対金切り下げを含む多国間通貨調整、円は308円に切り上げ ②為替変動幅の拡大、上下1%から上下2.25%を許容 |
1971年12月 |
中華人民共和国 |
中共 |
中共、尖閣諸島の領有権主張 |
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1972年5月 |
日本 アメリカ |
沖縄返還 | ||
1972年9月 |
日本 中共 |
日中共同声明、調印 | ||
1973年1月 |
イギリス EC |
イギリス |
イギリス、EC加盟に踏み切る | |
1973年3月 | 主要国 |
主要国 |
変動相場制へ移行 |
スミソニアン合意後、米国の国際収支赤字は改善せず1973年3月1日、再びドル売りが激化し、3月2日から約2週間主要国市場は閉鎖。その後主要国通貨は全面的に変動相場制(フロート制)に移行。当初、変動相場制には国際収支不均衡の是正等の調整機能の具備が期待された。 |
1973年3月 | ニクソン大統領 |
アメリカ |
アメリカ軍のベトナム撤退 | |
1973年9月 | GATT |
国際 |
ガット・東京ラウンド、開始 | |
1975年 |