■紀元前1001年以前(~-1001)
西暦 | 人物 | 国(場所) | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
-2000 |
夏王朝、成立 ※黄河文明 |
漢代に書かれた歴史書『史記』には、紀元前に成立した夏、殷、周の三つの王朝(まとめて黄河文明と呼ぶ)が書かれている。今の中国の黄河周辺で比較的狭い地域に限定される。黄河流域(中原(チュウゲン))は乾燥し、黄砂が舞う。梅雨もないため畑で麦を作る畑作文化が中心。 中国4千年の歴史と言われるのは、この夏王朝成立から数えられる。 ■司馬遷の『史記』 司馬遷の『史記』は、南の長江文明を北の黄河文明が滅ぼして統一王朝を築いた際に、自分たちの正統性を示す歴史観を教え込むために作られた書物。長江文明は文字を持たなかったため、現在知られる長江文明の情報は史記に基づくことが多い。 |
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-1600 |
殷王朝、成立 ※黄河文明 |
漢代に書かれた歴史書『史記』には殷が書かれるが、考古学的にも実証されているのは殷王朝から。 | ||
-1000 |
周王朝、成立 ※黄河文明 |
殷王朝を倒した周王朝の武王は、殷の領地の治め方として血縁関係者を年貢と軍事奉仕を条件に地方領主(諸侯)として任命した。これを封建制度と呼ぶ。例えば、武王は弟の周公旦に魯という地域を預けた。武王との血縁関係にない有力者(降参した敵国支配者など)を諸侯にする場合には、嫁の交換をするなど無理やりにでも血縁関係を結ぶことをした。基本的には血縁関係なしには安心できないとする文化である。諸侯に与える領地には、その周囲に目印となる盛り土(封と呼ぶ)を作るため、この統治方法を封建制度と呼ぶ。 周王朝の末期は、各地の有力諸侯が勝手に王を名乗って内紛状態となり、春秋戦国時代に突入する。以後、めちゃくちゃになった社会を再建する統治システムについて考えた諸子百家(特に道家、儒家、墨家、法家の4グループ)が登場する。 ■中国の封建制度と国民性 中国だけでなく、ヨーロッパにも日本にも封建制度はある。基本的に、主従関係があり、主が家来に土地を与える見返りに、軍事奉仕を求める点は同じ。周の場合、主が家来に年貢を求める点はやや異なる。決定的に異なる点は、周の封建制度では血縁関係(兄弟、従兄弟、叔父と甥、舅と婿など)を媒介に、主従関係が成立する点。時間と共に血縁関係は薄れるため長期的な統治を維持することは難しいという弱点が潜む。一方で、ヨーロッパや日本では主従関係は血縁関係だけでなく契約関係で成立するため、赤の他人が家来になることもある。契約観念を重視する社会は、資本主義経済との親和性も高く、近代化に成功している。 以上から、中国は契約よりも血縁が信用する上で重視される社会と言える。逆に言えば、中国は赤の他人との契約は平気で裏切られ、裏切るものという社会。 |
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-1001 |