■江戸時代 (1603-1867)
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
1610 |
足尾銅山を発見
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和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
寛政11 | 1799 |
北方領土、直接統治 幕臣・近藤重蔵を派遣し、北方領土の直接統治を開始。国後島~択捉島を調査。択捉島に大日本恵登呂府と書いた標識を設置。 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
1851 | |||
嘉永6.7 | 1853.7 |
東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが浦賀に軍艦4隻で来航し、開国を求める国書を差し出した。 |
アメリカ、日本到着 太平洋(ハワイなど)まで領土を広げたアメリカは日本と清との貿易を望むようになった。 |
嘉永7.3 | 1854.3 |
日米和親条約(神奈川条約)、締結 ※鎖国体制の終焉 正式名称は「日本國米利堅(メリケン)合衆國和親條約」。幕末~明治は日本では米利堅(メリケン)と呼ばれることが多かった。日本側は林復斎、米国側はマシュー・ペリー。本条約により下田(即時)と箱館(1年後)を開港させた。 |
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安政2. | 1855 |
日露和親条約、締結 北方領土東北端の択捉島と、千島列島の南西端の得撫島の間に国境線が引かれ、樺太には国境を設けず。 |
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1855. |
日米修好通商条約に関する国内論争 下田に赴任したアメリカ総領事タウンゼント・ハリスは、より積極的に通商を行う内容の日米修好通商条約の締結を迫った。その可否を巡り国内を開国派と鎖国派で二分する大論争が起こった。幕府首脳は開国で一致したが、諸大名では意見が分かれ、特に徳川御三家のうち尾張藩と水戸藩のニ家が条約締結に反対し、膠着状態となった。 |
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安政5. | 1858 |
井伊直弼、大老に就任 幕府を率いた老中首座・堀田正睦は鎖国派の諸大名を封じ込めるため、上京して孝明天皇の勅許を求めた。天皇は当初から通商条約締結に反対で、朝廷内部でも激しい意見対立があり、紆余曲折を経て朝廷は勅許を拒絶することを決定した。 |
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安政5.6 | 1858.7 |
日米修好通商条約、締結 大老に就任した井伊直弼は、朝廷の意向を無視して日米修好通商条約を締結。函館に続いて新たに神奈川(横浜)、新潟、兵庫(神戸)、長崎の四港を開港した。条約は領事裁判権を認め、関税自主権の無い不平等なものだった。 |
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安政6.6 | 1859.6 |
日米修好通商条約に基づき |
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1860 | |||
1860 |
大老・井伊直弼は戊午の密勅に関わった者や攘夷派の志士や政敵を次々と逮捕し、処罰した。処刑された人には梅田雲濱、橋本左内、吉田松陰がいる。 |
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万延1. | 1860.3 |
安政の大獄に憤った水戸藩浪士らは大老・井伊直弼を暗殺した。 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
1861 | |||
1865 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
1866 | |||
1867 |